喰い断Ⅸさんのポケモン生活

熊本オフとかにでてる無名雑魚です。ニコニコ生放送やってたりします

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【アクセス数10万記念】ポケモンでも強さというものについて考えてみたの会

強さの在り方について

ポケモンにおける強さとはなんなのかが気になります。
ポケモンの対戦に置いて、強さを追求することが目的のコミュニティとしてガチ勢と呼ばれるものが存在します。
そしてこのガチ勢の括りというのは、自分からコミュニティに入ろうとして入るものではなく
強さと勝利を追求した結果、いつのまにかガチ勢と呼ばれていることが多いかと思います。
たとえ自分がガチ勢だと名乗ろうとも、周りからみて強さを追及していない場合は何の意味も持ちませんし
自分がガチ勢ではないと主張しようと、回りからみて強さを追求していればガチ勢という一種の名誉称号が与えられます
ですから、ここでのガチ勢という枠組みに置いて強さの追求というのは重視する要素であると言えます。

ですが、ここ最近。主に私の見ている箱庭の中での話ですが。
この強さの追求という物が具体的に何を求めるものなのかというものについて考えさせられるうことが多くなりました。


「地雷(数の少ないもの及び、想定し得ないもの)を使われたから負けた」とか「有名な構築の内部を弄っているから弱い」というのは一概にそうとは言えません。
先に述べたとおり、ガチ勢というコミュニティの中で強さの追求というのは根幹に関わるほどの目的なわけですが
その中で強さの探求を求める以上、地雷や改変と呼ばれるものを強さの追求から外すのは明らかにおかしいのです
(有名な構築を弄っているから弱い、と主張するからには
 そのいじってある構築には必勝が求められます、内部が変わっているから負けたというのはお門違いである)
「改造」という本来起こり得ない要素や、「切断」というある意味での強さの探求の放棄を除き
ガチ勢というプレイヤー群はその起こり得る、想定しうる限りのパターンに即して勝利を求めることが必要でしょう。


最近私がツイッター等で主張しているのが「強さというのは理解できないのが望ましい」ということです
これは「地雷を使われたから負けた」というのに繋がることですが
「地雷」というものがなぜ地雷であるかに関わります。
地雷は「理解できないもの」であるために地雷と呼ばれます。
理解できない喪に対して対策をねって、適切な対処をすることは不可能ですから、当然ここに強さが発生します。
嘗て、バンギ無道が現れたときも最初は「理解できない」人が多数を占めていました
大文字ガブリアスを使えば余裕じゃない? という意見が(少なくとも私のツイッター上では)大勢を締めていました。
ですが今現在、これについて大文字ガブリアスでバンギ無道が処理できる、と考える人間がどれほどいるでしょうか?
実際はバンギ無道(ラティ)構築であるため、ラティに対して逆鱗で処理をしようとすると無道にロックされ
エアームドに対して文字をうとうとするとラティに処理されてしまいます。
「理解できない」人が多かった当時はやはりバンギ無道というのは圧倒的な強さを持っていました。
しかし現在の「理解した人間が増えた」状況では、当時ほどの圧倒的強さを誇ってはいません。
つまり相手の思考の外から「理解できないもの」を使うことが強さの一因としても存在しますから理解できないのが望ましいのです
その強さについて理解する人間が増えてしまえば「但しい対策と対処」をされてしまいますからその構築から強さは失われていくのです。

この地雷というものは対戦の立ち回りにも言えることで
「何故か居座られて立ち回りが崩れた」等と主張する人間もいますが
この「何故か」の部分に不理解が生じます。即ち、「強さ」です。故に立ち回りが崩れて負けるんです。
想定している外からの行動というのには非常に弱いのが特徴なのですから
当然「想定されない」ということについて一番楽な方法という物は「理解できないこと」なのです。

もう一つ例を挙げておくならばめざ飛行サンダーでしょうか
こちらも昔はガブリアスが2発で落ちるということが知られていませんでしたし「理解できない」ポケモンでした
だからこそローブシンがサンダーに電気技を喰らうとまずいからガブリアスを出そう、という思考をしてきたのを
眼鏡めざ飛のダメージで破綻させるというのが機能していました。
実際これは「開設した上でも理解できない」という人間が大勢をしめていますから当時は本当に強かったです
これは「理解できない」を通りこして「理解させない」のを目的としていた感もありますが……
ファミ通カップの結果として眼鏡めざ飛サンダーの有用性が指摘されるまで、ボルトロスとの不毛な比較が行われていたのも一例でしょう。
強さというのは「本人の視点」からは理解で着ていようと「他人の理解」までカバーする必要ないし、義理もないと考えます。

続いて有名な構築の内部を弄っているから弱い、という点ですが、
こちらは明らかに劣化していて、自身がそちらの構築に対して張っている対策がそのまま機能するのであれば
弱いと認定するに足りるでしょう。ですが、その中で「弱いと認定する」からには必勝が求められるわけで
その構築に負けてしまった瞬間に、その構築を弱いと認定する権利は失われます。
既存の対策を機能させないように「改変した」のであればそれは改善として認められるべきでしょう。
改変した上で対策対処の単一化を招くからこそ、私が普段「似非ガチ勢」と呼ぶわけで
改変した上で対策対処の幅を広げたような構築であればそれは似非でもなんでもなく、「弄ったこと」そのものが強さになります。
仮にそれがパーティの根幹を揺るがす、バンギ無道の無道を外す、ユキトドのトドゼルガを外すということであっても
「弄ったこと」そのものが強さとなる場合は十分に存在するでしょう。

根本的な問題として「有名パーティの改変」という形すら曖昧で
自身の回りに存在する人間と「たまたまパーティが被った」のであり、弄ったわけではないのであれば
当然それはまったく別のパーティでの強さですし
自分自身でパーティを考えた人に対して負けた挙句に「弱い」だの「意味分からん」だのいうのは何を言っているのか理解不能ともいえる状況です。

強さについての考え方の話に戻りますが、もちろん「理解できないこと」以外にも強さが在ります
主に現在のガチ勢というコミュニティ内部で至上とされる「理解できる」強さです。
これは現在の起点構築、少し前のバンギ無道、BW初期の麻痺砂、さらに遡ればバトレボ時代の結論パと呼ばれる者達です
私も全ての強さは理解できないはずであると主張するつもりは在りませんし
これらの構築は強さを理解する人間が増えた後でも一定の強さを保っています
ですがこれは実際の所「理解できる」強さではなく「理解できるようになった」強さでしか在りません
バンギ無道やめざ飛サンダーついて前述したとおり、公開され、さらに周知してさらに時間が経つことで強さという物が「理解できるようになった」だけなのです
「理解できる」構築が強いわけではなく、「理解できなかったもの」が「理解できるようになった」というだけの話なのです。

もちろん、理解できないものが絶対的に強いというわけでは在りません
「ランダムバトル」に存在する意味不明な立ち回り、構築がそのまま通用するかといえば間違いなく違います
ですが、その意味不明な立ち回りや構築が全て通用しないかといえばそれもまた違うのです
箱庭、そして「狭い環境」で戦っている人間では思いもつかなかったことが出てくるのがランダムです。
仮想敵にすらしたことが無かったようなものともの「ランダム」で当たります
理解できるものの一歩先にある「理解できるか微妙なもの」を目指すのは遠慮しているようにも思えますし
「理解できないもの」が環境のトップに存在するのに関わらず「理解できるか微妙なもの」を目指し続ける限り遅々としてしか開拓が進みません。
強さを求めるのであれば、これは明らかにおかしいことではないでしょうか?

結局の所ですが私が強さとして自分の中で目指しているものは
「理解できるもの」の視点から見て「理解できないもの」にすら「理解させない」ものです
さらにいうとこの「理解させない」もの中に「理解できないもの」、も「理解できるもの」も内包させるべきだと思っています

理解できるもの、からすると理解できるものは全て対処作は想定されていますから
理解をさせなければ対処法を用意していない相手に対して勝利することが可能です
理解できないものにすら理解させないものを用いて望めば、さらに上の強さを持ってねじ伏せることが可能でしょう。

「理解できるもの」と「理解できるもの」同士の対戦は不毛なメタ合戦と専用対策の応酬です。
お互いがお互いのなかで信じる強さの中で、自分の強さでは「理解できない」ものと相手の強さでは「理解できないもの」をぶつけ合って対戦するのが理想であると思います。
この理想の中で「理解できないもの」というのは自分の箱庭の中には絶対に存在しえません。
自分が持つ箱庭の外に出て、「ランダム」な相手と当たることで初めて「理解できないもの」と邂逅することができ
この「理解できないもの」を自分の中で「理解できるもの」にしようする過程。
「理解させないもの」すらも「理解できるもの」にしようとする行動、思考の中でこそ強さというものは洗練され
「ガチ勢」と呼ばれるプレイヤー達がしのぎを削る環境という物が面白くなるのではないか、と思います

危険なものは自分が「理解できるもの」ではないのは「弱い」だとか「理解不能」だとして切り捨てることでしょう
「理解できるもの」以外を切り捨てている限り、そこには「理解できるようになったもの」しか扱うことが出来ません
自分の力で「理解できるもの」を増やし、自分の力を「理解できないもの」にすることが重要のはずです

まーそーいうわけでなんですけど
フレンド対戦ーっていうのはレベルが高いーとか思ってる人が居るのかもしれませんけど
実際の所のそれは箱庭のなかで理解できるものとしか戦っていないだけ
理解できるものであるからこそお互いが筋道を立てて考えられるから「レベルが高い」と錯覚しているだけで
その中身はその実、ただの馴れ合いでしかないかもしれませんよ ってことです
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コメント

ふたつ記事ありまっせ
2012-02-04 Sat 17:16 | URL | あ [ 編集 ]

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